やさしさにつつまれたなら

ショックな事実を知った。

いや、違う。

起きた事は全てニュートラルで、その出来事をどう感じたか?なだけ。

そうだとしたら

1つの事実を知った。私はその事実にショックを受けた。

 

その事実はショックとともに微かなスッキリを私にもたらした。

どこかで感じてた、言葉にできない違和感。

ある人はそれを直感と呼ぶのかもしれないし、はたまた気にしすぎなだけかもしれない。

でも私がずっと何か引っかかっていた違和感。

 

極小の魚の骨が喉の端っこを刺激するみたいに、私にずっと存在をアピールしていた。

あ、やっぱり。

そこに骨があったんだ。

気のせいじゃなかったんだ。

そんな腹落ち感を感じた。

 

だからって、ショックはショックなのだけれど。

魚の骨の存在に気付いた私は、もうなかったことにできない。

気のせいだと思っていたときには感じなかった痛みが時折顔をみせる。

抜いたほうがいいのかな。

抜くとき痛いかな。

極小に見えて実は大きいのかも。

すっごく尖っているのかも。

このまま、いつのまにか、寝てる間に、なにかの拍子にストンと下に落ちないかな。

 

そんな事を思いながら私は今日も骨がある事だけを確認して、何もせず、痛みにも気付かないフリをしている。

 

でも、ときどき周りの人の優しさが、その骨に優しく触れてくれる。

ここにあるよ、平気なふりをしなくてもいいんだよ、そんな風に。

決して無理やり抜くわけでもなく、抜きなよと強制するわけでもなく。

ただただ、骨がそこにあるんだね、って一緒に見てくれた。

 

それがとても嬉しい。

 

もう少ししたら、私はきっと骨に触れる。

血を滲ませてでも無理やり抜くかもしれないし、必死でごはんを飲み込むかもしれない。

 

願わくば、優しいあなたにそれを見ていてほしい。

そうしたら私はきっと泣き笑いしながら、とれた骨を見せる事ができると思うんだ。

 

優しさにつつまれたなら

きっと眼に映る全てのことはメッセージ

 

先日大好きな友達がカラオケで歌っていた。

こんなにステキな歌やったんや。

 

小さな骨のおかげで、いま私は優しさをいつも以上に感じている。