寂しさのつづき
昨日感じた事を書いた。
1日経って自分の言葉が不十分だなと思った。
誰かといても寂しいというのは、誰にも心を開けないという意味ではなくて。
私が本当にわかってもらいたい人、わかってもらいたかった人には私の気持ちは届かない、と思っていた、という意味。
自分にかけてくれている愛情や、優しさは自覚できるのに、それじゃダメなんだ私が欲しいのはそれじゃないんだって子供の私がずっと拗ねていて。
でも大人の私は、「いや、ちゃんともらってるでしょ?わかってくれる人はちゃんといるでしょ?だからそんなこと言わないの!ね?」
って宥めている(というか説き伏せている)イメージだ。
そう、書いていて恥ずかしいけれど。
きっと私がわかってわかって!気付いて!って言っているのは母に対してで。
でもそれ以外の人からもらっているものはわかっていて。
でも違うんだ、私が本当に欲しいのはあなたからじゃないんだ、でもせっかくくれたんだからわがまま言っちゃいけないよねって1人で諦めて言い聞かせてる私(A)
本当の本音はこんなめんどくさい私を受け入れて。私のこんなわがままを許して。こっちを見て!ちゃんと私の欲しい形で返して!っていってる私(B)
まんま子供だ。笑
でもこんな子供の私(B)を大人の私(A)は必死でコントロールしようとしている。
だからわざわざ自分から拗ねて離れるそぶりをしたり、1人になりたいなら勝手になればいいのにわざわざ1人になりますと宣言してくるタイプの人を心の中では苦々しく思ってきた。
表面上はそんなこともあるよね、って物分かりのいいフリをしながら。
構ってちゃんなの?
めんどくさいよ。
そうやってこっちの様子を伺ってるんでしょ?
そうやったらこっちが面倒みてくれると思ってるんでしょ?
それをされた側が傷ついてないなんて思ってる?
まさか自分だけが傷ついてるとでも思ってるの?
いいかげん、その繊細なフリをやめてよ。
そうやって被害者ぶって、弱い人ぶって、相手を加害者にするのはやめてよ。
本当の加害者は、本当に傷つけてるのはお前だって自覚しろよ!!
面倒くさい。大っ嫌い!
なんでこっちばっかり大人にならなきゃいけないの?
割に合わない!ずるい!!
そう、これは外側に思っているようで、ずーっと大人(ぶってる子供の私)Aが子供のままの私Bに対して浴びせてる言葉。
だからそう思うことにも罪悪感を感じるんだ。
私の中に大人になりきれていない(でも大人のフリを頑張っている)私VSずっと子供でいたい、それを認めてくれること以外愛されているとカウントしないと叫んでいる私がいる。
だから誰といても、1人?分離しているんだろう。
ふと大人の私と子供の私が交互に顔を出すから。
で、パートナーには子供のほうの私を愛してもらいたい。
でも本当に本当の子供の私を愛してもらえるとしたら??
じゃあせっかく大人ぶってた私がかわいそうだ。割に合わない。
だから愛していらない。
そりゃ1人でいても、誰かといても疲れるよね。
だって私の中でずーっと小競り合いしてるんだもの。
もういいんじゃないかな。
どっちの私もしんどかったね。
それぞれの言いたいことはよくわかった。
だけど、どっちが正しいの?って外側に答えを求めるはもう要らないんじゃない??
こんなごちゃ混ぜの私を見守ってくれている人達がいることに、ちゃんと気づくときがきたんじゃないかしら。