2ミリ先の世界

先日数年ぶりにマツエクをした。

 

1つ前の日記に書いたようにいま私の中で美容熱が高まっている。

まぁもともとが低体温なので高まって普通くらいの熱さなんだけども。

鉄は熱いうちに打て、と言わんばかりにすぐさまサロンを検索し、当日予約可のところに飛び込んだ。

 

そもそもここ数年間マツエクをしていなかったのは、最後にしたときの苦い記憶が残っているからだった。

安さに惹かれて適当に選んだサロンで、まだ慣れてない施術者にしてもらったところ痛くて痒くて途中でストップしてもらったのだった。

それに、それ以前にもどうしても自毛とは違う感触が気になってブチブチ抜いてしまう癖があったのだ。

 

その思い出が苦いせいだった為かいつしか私はマツエクに対してマイナスなイメージを持つようになっていた。

 

もう若くないし

とか

やっぱり自然が1番だし

とか

謎の言い訳?を言ってみたりして。

 

別に自毛だろうがエクステだろうが、フサフサになったまつげで自分が嬉しいならどちらだっていいはずなのに。

 

こうやって私たちは知らない間に自分の望みをさも欲しくなかったように振る舞い始める時がある。

 

話を戻して。

結果今回飛び込んだサロンは大正解だった。

技術的にも丁寧だったのもあるし、あとはやはり毛質も進化!?していて着け心地もほんと軽い。おかげで今のところブチブチ引っこ抜かずに済んでいる。

そして1番の喜びは花粉症で辛いからほぼアイメイクが出来ない現在、マスカラを塗らなくてもいいことがとても助かる!!

 

年々、人はどうしても変化に臆病になりがちだ。

たとえ今の状況がベストじゃなくても、損するよりマシだと自分に言い聞かせてしまう。

でも、やってみないと得か損かなんてわからない。

そして「損したっていいじゃない。」

そう思えた時にまた1つ新しい景色に出会える。知っていると思ってた場所ですら、実はまた違う景色が広がっている。

 

そんなことを思いながら、うつぶせ寝を止めようと心に誓う春。

 

 

はじまり

今日は春分

そして天秤座の満月。

加えて宇宙元旦(よく知らんけど。笑)

 

 

3ヶ月前の元旦に1年の抱負を宣言しなかったから、宇宙元旦の今日に抱負を描こう。

 

●これからの人生を大人として生きる

●美女として生きる

 

 

ひとつめは、年齢的にはもう十分すぎるほどに大人の私なのだけれども。

ここでいう「大人」は「自分で自分の責任をとる」っていう意味。

嬉しいことも、悲しいことも。

その感情に自分で責任をもつこと。

人生の舵を他人に預けないこと。

私は今まで、どこかでずっと私以外の誰かのせいにしてきた。

たしかに生い立ちや環境などは自分では選べないものもある。

でも、それを握りしめている限り、喜びも誰かに左右されてしまう。

私は自分のために喜び、自分のために悲しむ。

そんな大人としてこれからの人生を過ごしていきたい。

 

 

ふたつめは、「私史上の美女」になる。

目がもっとぱっちりしていたら。

鼻筋がもっとスッとしていたら。

脚や首ももっと長くてスラッっとしていたら。

理想なんていい出したらキリがないけれど。

いま、もっている私で。

どこまできれいになれるのか。

今の自分がダメとかじゃなく、自分の可能性をみてあげること。

それもきっと自分を大切にすることだ。

 

 

私は誰かに素敵だって認めてもらいたいわけじゃない(そりゃ認めてもらえたらめっちゃ嬉しいけど)

ただ自分で自分を素敵だって思いたい。

例え誰かからカッコ悪いって思われたとしても、私は私をカッコいいよっていってあげたい。

 

いま見上げた空にいるお月さまは靄がかかってハッキリと見えなかったけど。

心の中にあるまん丸なお月さまに向けて。

 

 

 

今日(昨日?)見た夢の中で、私は自分の顔の皮膚をペリペリとめくっていた。特殊メイクを剥がすみたいに、めくった皮膚の下には新しい皮膚があった。

新しい顔の私が見える前に目が覚めた。

今日から私は新しい私。

そうやって毎日新しい私で過ごしたい。

 

 

 

やさしさにつつまれたなら

ショックな事実を知った。

いや、違う。

起きた事は全てニュートラルで、その出来事をどう感じたか?なだけ。

そうだとしたら

1つの事実を知った。私はその事実にショックを受けた。

 

その事実はショックとともに微かなスッキリを私にもたらした。

どこかで感じてた、言葉にできない違和感。

ある人はそれを直感と呼ぶのかもしれないし、はたまた気にしすぎなだけかもしれない。

でも私がずっと何か引っかかっていた違和感。

 

極小の魚の骨が喉の端っこを刺激するみたいに、私にずっと存在をアピールしていた。

あ、やっぱり。

そこに骨があったんだ。

気のせいじゃなかったんだ。

そんな腹落ち感を感じた。

 

だからって、ショックはショックなのだけれど。

魚の骨の存在に気付いた私は、もうなかったことにできない。

気のせいだと思っていたときには感じなかった痛みが時折顔をみせる。

抜いたほうがいいのかな。

抜くとき痛いかな。

極小に見えて実は大きいのかも。

すっごく尖っているのかも。

このまま、いつのまにか、寝てる間に、なにかの拍子にストンと下に落ちないかな。

 

そんな事を思いながら私は今日も骨がある事だけを確認して、何もせず、痛みにも気付かないフリをしている。

 

でも、ときどき周りの人の優しさが、その骨に優しく触れてくれる。

ここにあるよ、平気なふりをしなくてもいいんだよ、そんな風に。

決して無理やり抜くわけでもなく、抜きなよと強制するわけでもなく。

ただただ、骨がそこにあるんだね、って一緒に見てくれた。

 

それがとても嬉しい。

 

もう少ししたら、私はきっと骨に触れる。

血を滲ませてでも無理やり抜くかもしれないし、必死でごはんを飲み込むかもしれない。

 

願わくば、優しいあなたにそれを見ていてほしい。

そうしたら私はきっと泣き笑いしながら、とれた骨を見せる事ができると思うんだ。

 

優しさにつつまれたなら

きっと眼に映る全てのことはメッセージ

 

先日大好きな友達がカラオケで歌っていた。

こんなにステキな歌やったんや。

 

小さな骨のおかげで、いま私は優しさをいつも以上に感じている。

 

おいしいことに変わりはないのだ

どんなに影が濃くても

光がなければ影はできないのですよ

 

 

 

私が幼少の頃から愛読している漫画「ガラスの仮面」での月影先生のセリフ。

 

 

私たちは日々の中でどうしても、影の部分を見てしまうけれど。

そして、影を悪者にして光だけの世界に憧れてしまうけれど。

 

闇の中にいるから、光に気付けることもある。

闇に気付くってことは、光を知っているから。

 

 

昨晩友人と入ったカフェで出されたラテアート。

クマを表現しているらしいそれのどちらが上下なのかで意見が分かれた私たち。

見方によってはどちらも見える。

だからってカフェラテの味には変わりはない。

光も影も。

そうなのかもしれないな、そんな事を思った日曜日。

 

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2019年 鎧を脱ぐ

自分で恋愛年表なぞ作っておきながら、振り返ってたらネガティブモンスターになりそうだったのでしばし小休憩をして、週末は友人たちと楽しく過ごした。

 

朝の澄んだ鞍馬を歩きながら、友人と語って再確認したこと。

 

私、恋愛を戦(いくさ)だと思ってるー!!

 

うん、知ってたけどね。

気付いてたけどね。

 

戦といっても、相手を倒すことがゴールではなくて。

相手との間におこる色んなことを乗り越える=戦に勝つ!みたいな感覚。

だからこそ、傷を負ってもやめられないし、1つの戦(恋)が終わるたびに瀕死の状態だし。

 

つい先日終わった恋に関しては、早い段階で負けを覚悟して撤退したことが何よりも私を落ち込ませている。

まだ戦えたのではないの?

何か他に策はあったんじゃないの?って。

 

ここまでを読んで意味わからんってなってる人。

正解!

それが正解!

特に女子なら、大正解!!

 

そうなの。

そもそもの前提がおかしい。

なんで戦わなきゃいけないんだろう。

楽しい♡嬉しい♡幸せ♡

これを感じるためにみんな恋するはずなのに。

 

この前提に気付くのに◯◯年かかってしまったよ。。

でも恋=戦って思うにはそれなりの理由があったのです。

仮にそれが他の人からみたら、些細な事だったとしても。

 

だからそんな自分を責めるのだけはやめよ。

それこそが不毛な戦いだ。

 

そんなことを思った2019年の節分。

 

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ふりかえりの巻

昨晩、自分の恋愛年表を作ってみた。

 

当然ながらそれぞれの過去の恋に対する思いは様々で。

まるで昨日のことのように鮮明に思い出すものもあれば、もはや霧がかかったようにしか思い出せないものもあった。

想いの深さは年月の経過や、過ごした時間とは関係ないのだなぁとしみじみ思った。

 

 

そしてある事に気付いてしまった。

ある恋愛を境に、私は相手に対して「好き」と告げたことがほとんどないという事に。

もちろん、好きだから付き合ったのだし、なんなら私から積極的に行動したこともあった。

 

でも、付き合ってる期間に相手に「好き」だと言葉で伝えたことがほとんどなかった。

きっと態度では現れていたと思う。

でも言葉にはしてこなかった。

 

それはずいぶん昔の恋愛が発端になっていたことに気がついた。

 

私はもともと単純な性格で、友達からはいつも

ストレート一本勝負やなって笑われる。

もちろん、大人だからなんでもバカ正直にストレートに言えばいいなんてことは思ってない。

でも、好意的なことは思った時に思ったまま伝えたい、そう思っていた。

 

だから、その当時の彼にも私はあなたの事がとても好きだと折に触れ伝えていた。

べつにお返しの言葉が欲しかったわけじゃない。何かしてほしかったわけでもない。

ただ、伝えたかったのだ。

 

彼はいつも知ってるよーありがとうって笑っていた。

私はそのニコニコした顔が大好きだった。

 

でも、そのあと彼が別の女の子にもそうやってニコニコしていたことを知った。

今思うと怪しい場面はいくつもあったのに、私は彼を疑う気持ちは皆無だった。

だから、その事実を知った時、人って怖いと思ったのを覚えている。

 

ショックを受ける私に彼は泣きながら謝ってきた。

私は涙すら出なかった。

人はショックすぎると頭が真っ白になり全ての感情がフリーズするのだと初めて知った。

 

震えながらやっとのことで

なんで??

って聞いた私に彼はこう言った。

 

いつも好きだといってくれるから、安心しきっていたのかもしれない。

この子は何があっても自分を好きだろうとどこかで思っていたのかもしれない。

 

私が好きだと言ったから彼は浮気をしたの??

好きだと言ったからよそ見をしたくなったの??

こんな思いをするなら好きだなんて言わなければよかった。

 

今思うと彼の言うことも、少しだけわかる気もする。なんとなくね。

 

でも紆余曲折ありながら、その後も彼といることを選択した私はもう前のようにはいられなかった。

彼のことを信じることもできない、でも彼から離れることもできない。

もはや好きって感情ではなくて、それは執着だったと思う。

 

でも、彼と過ごしたその後の数年間。私は彼に対して好きだとは全く言わなくなっていた。

不思議なことで私が言わなくなると同時に彼が頻繁に口にするようになっていた。

前はあんなに聞きたかったその言葉を私はうけとれなくなってしまっていた。

 

あなたのために、わたしのために

「あなたのことを思って」

言いがちなセリフ。

実際に私も何度か言った記憶がある。

このままではないけどニュアンスはこのまま。

 

口にする方は、きっと本当に相手の事を思っているつもりなのだ。

そう、つもり。

自分の世界の中でのルールに則った上での正解。解決策。

 

だってあなたに幸せになってほしいから。

あなたのことが好きだから。

大切だから。

傷ついてほしくないの。

だからこそ。

 

とても優しい気持ちから発するそれは

まるで何かから守ってあげているような気分ですらあった。

そんな自分は優しいとすら思っていた。

 

でもね、そうやって発した言葉が思いもかけず誰かを傷つけてしまうことだってあるのだと、私は大人になって知った。

たくさん傷を負って初めて知った。

 

もうすでに傷ついているその人に、これ以上正論という名の傷をつけて何になるんだろう。

傷ついて痛がっているその人に、敢えて傷口を見なさいって伝えることがもしかしたら早く傷を治す手段なのかもしれないけれど。

 

 

でも、まずは

痛かったね。

そうだよね。

あなたの傷が癒えて、また笑えるようになるために私ができる事があれば教えてね。

だって私はあなたが好きだから。

あなたの笑顔がまた見たいから。

だからこれはあなたの為じゃないの。

自分の為なの。

 

今回傷ついた私に友人がかけてくれた言葉たちからはこんな気持ちがたくさん伝わってきた。

私が笑顔になれるなら、どんな選択をしてもいいよ。

そう言われた事で本当に救われた。

ありがとう。

私もこんな風に寄り添える人になりたいって思った。

あなたのためじゃなく、わたしのために。