受け取るって難しい

帰り際はいつも切なくなる。

 

私は祖父の記憶がない。

物心ついた頃には父方も母方も祖父は他界していた。

祖母も記憶があるのはほぼ父方の祖母だけだ。

 

 

いつも年に2回、祖母に会いに帰った。

生まれ育った土地も田舎だったけど、それに輪をかけて田舎の祖母の家は何もなくて。

小さい頃はまだしも、思春期の頃はほぼ漫画を読むだけの帰省だった。

 

それでもいつも祖母はニコニコ喜んでいて、帰り際ずーっと車を見送っていた。

その姿を見て私はどこかで胸が痛んでいた。

 

私が20歳の頃、祖母は亡くなった。

火葬場に行っても涙は出なかった。

でもその後宴会をする親戚達の事を怒りの混じった冷めた目で見ていたことを覚えている。

 

なんで笑えるの??

おばあちゃんが亡くなったのに悲しくないの??

そう思ってた。

でもその怒りは自分に向けてたのだと今ならわかる。

 

なんでもっと会える時間を大切にしなかったのか。

なんでもっと言葉を交わさなかったのか。

私は何も、本当に何も祖母にしてあげられていなかった。

あんなにいつも楽しみに待っていてくれたのに面倒くさいとすら思ってた。

なんてひどい孫なんだろう。

 

 

そうやっていつも祖母の事を思い出すたびに自分を責めてきた。

おばあちゃん、ごめんなさいと涙がでてきた。

だから祖母の事を思い出さないようにしてきた。

 

 

でも、今回お墓まいりをしていてふと思った。

私は自分を責めることで祖母からの愛情を受け取らずにきた。

私にとって祖母を「ごめんなさい」の対象にしてきた。

 

帰り際の祖母はたしかに寂しそうだったけれど。

迎えてくれる時はいつも笑顔だった。

私自身は何もしてあげられてないと思っているけれど、祖母は私をみてちゃんと笑ってくれていた。

たぶん、何かをするしないとか祖母にとってはどうでも良かったのだと思う。

 

私に会える事をそれほど喜んでくれていた。

これってとても幸せな事だ。

 

おばあちゃん、いままでずっと受け取らずにいてごめん。

私もおばあちゃんのこと大好きだったよ。

おばぁちゃんと一緒にたこ焼き食べたり、時代劇を見る時間が好きだった。

いつも私の好きな料理を作ってくれてありがとう。

 

いまでも、してあげたかったことはたくさんある。

後悔もたくさんある。

 

でも、この気持ちが愛なら、私もちゃんと祖母の愛を受け取ろうと思う。

 

ごめんなさいじゃなくて、ありがとうで。