スキに上下なし

昨日の友人たちと話しているときに、ネイルを見て褒めてもらった。

1人でパソコンに向かって仕事をしているから一番目につくネイルで自分の気分を上げている、と話すと

「いいね!めっちゃ大事!」と言ってくれて嬉しかった。

 

私は前職の時から地味な色でもネイルをするようにしていて、その当時はそんなにしょっちゅう自分でやってられないからサロンに行くこともあった。

私の爪を見た同僚が

「独身はそんなものにお金かけられて余裕だねー。私は爪になんてとてもお金をかけられないわぁ。そもそもそんな時間もないし興味もない」と言った。

すごく嫌な気持ちになった。

 

たしかに爪にお金と時間をかけるのは浪費かもしれない。

その彼女の趣味は晩酌で、ほぼ毎日旦那さんと飲んでるらしい。

それって月トータルでみたら変わらない金額なのでは。。

 

 

晩酌が無駄だとも思わないし、それが夫婦にとってのいい時間ならステキな時間の過ごし方だろうと思う。

でも自分の「スキ」を上げるために、わざわざ人の「スキ」を下げなくてもいいのにって思った。

 

 

たまにこういうことがあるからか、自分の「スキ」を人に話すのがあんまり得意じゃない。

私はネイルが好きだけど、みんなもやればいいのにとは思わないし、興味がない人もいるのもわかる。

私にとってたまの漫画喫茶は自分への最高のご褒美だけど、全く興味ないひとからしたらある意味時間の無駄だと思うだろう。

 

スキに良いも悪いも、高尚も低俗も、コスパも関係ないのにね。

 

だから子育て中の友人たちが、自分がネイルするしないに関わらず「自分の好きなことをするっていいね」といってくれたことはとても嬉しかった。

もともとおしゃれ好きな二人はネイルをしたいけど、子供が小さくてサロンにいく時間がとれないし、セルフでするのもしょうっちゅう塗れないしなーというので、今はセルフジェルネイルもお手頃なのが色々あるし、100均で売ってるライト不要のジェルもあるよ、と紹介したら喜んでくれて早速買いに行こうかなと言ってくれた。

 

自分の「スキ」で誰かが喜んでくれるのはとても嬉しい。

 

私も誰かの「スキ」に対して寛容でありたいな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

実践さしすせそ

友人宅に遊びに行った。

もう1人の友人も子供を連れてきていたので、6歳・4歳・2歳の男の子が3人いた。

 

男の子、可愛い。

ときどき、ギャーギャー絡んでるのも微笑ましい。

たぶん私はたまに接するからそう思えるのかもしれないけれど。

 

 

4歳、6歳、私の3人でお留守番をしている時間があった。

子供達2人はそれぞれレゴで遊んでいた。

 

レゴの手順が書かれた紙をみて、さくさくと進めていくおにいちゃん。

 

すごいねぇ、早いねぇ、と言うと。

これ8歳の人がやるやつ、僕6歳やけどできる。

と教えてくれた。

 

えー、6歳やのに、できるん!?

めっちゃ凄いやーん!!

て言ったら

これもできる、あれもできる

と他にもできることを教えてくれた。

それを見ていた弟くんも

僕もこれできる!!

とレゴを作り出した。

やだ、可愛い。

さっすがー!すごーい!って言うと誇らしげだった。

 

私こんなに「さしすせそ」を駆使できたの初めてかもしれない。笑

 

そうか、男の子ってこのまま大きくなるんだな。

そりゃ褒められたいよね。

 

 

最後バイバイするときに、また次見せてあげるねって言ってくれた。

ほんと男の子は喜ばせたい生き物なんだなぁ。

 

可愛すぎた。

そしていい勉強になりました。ありがとう。

 

出たり消えたり

今日は昨日の彼女と2人で神社巡りをした。

 

私は神社巡りが好きなのだけど、しばらく行っていなくて。

そういえば前回行ったときも彼女と行ったのだった。

 

今日はとにかく不思議な事が起こる1日だった。

色んなものが消えたり、または現れたり。

途中からは「今日はそういう日なのだ」ということで落ち着いた。

 

もしかしたら、表では消えてるけど、消えたのではなくて裏では現れてるのかもしれない。

そんな事を何度となく2人で話した。

うまく言葉に出来ないけど。

 

 

おみくじをひいた。

総合すると神様からのメッセージは

「謙虚に身持ちを正して、信じるほうへ進め」とのことだった。

 

いつだって、起こる出来事は自分の想像から超えたところにある。

それなら、いちいち自分で「意味」を考えたり決めることなんて意味がない。

まっすぐに心に従って願い、受け入れるだけ。

 

それが難しいんだけれど。

でもきっとそれが1番シンプルだ。

 

 

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白子はもう頼みました

友人たちと夜ご飯を食べた。

自然体でいられるのが心地よい。

 

先日の私のブログを読んでくれた友人が、

「あの時の恋(そして恋してた私)を精一杯守ろうとして、彼を責めないでおこうとしてたんだね」といった趣旨の事を言ってくれた。

 

あぁ、そうだ。

私が守りたかったものは。

きっとあの時、彼を好きだった自分。

傷つく前のピュアな自分。

そしてそれを守りたくて私は強く、どんどん武闘派になったんだ。

強くなる事で、自分を責める事で、あの時の私を綺麗なままでおいておきたかったんだ。

 

だっていい思い出が1つくらいほしいんだもの。

あぁ、あんな風に純粋に信じてたなぁって思える自分がいてほしいんだもの。

 

そんな自分の気持ちに気付いて泣きそうになった。

悲しい涙じゃなく。

自分を責める事で自分を守ろうとした、私の不器用な愛情に気が付いたから。

 

最近フラッと読んで即まとめ買いした漫画がある。

両親を事故で亡くした女子高生(姉の遺児)と、その子と一緒に住むことにした叔母(亡き母の妹)の話。

その叔母(35歳、独身、小説家、人見知り)のキャラクターが私は好きだ。

人見知りで不器用だけど、人に対して真摯に向き合おうとするところ。

自分と他人は違う生き物だってことをちゃんと認識している人。

 

「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

「悲しくなるときがきたらそのとき悲しめばいい」

彼女の言葉が好きだ。

 

なんだか今日の友人に似ているな、と思う。

 

 

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

違国日記(1) (FEEL COMICS swing)

 

 

 

 

 

 

女とわたし

昨日1日でひたすらブログに過去の出来事を書きなぐった。

こんなことを書いて何がしたいんだろうとも思ったし、限りなく可能性は低いけど当時の彼が読んだらどうしようとか要らぬ心配もした。

 

当時の恋愛は自分の中で消化できていると思っていたけれど、そうじゃなかったってこと。

そのあとにもいくつかの恋愛をして、なんでこんなにもうまくいかないんだろうって悩んで。世の中の大多数の人が上手くこなしている(ように見える)ことが私にはなんでこんなに難しいんだろうと打ちひしがれた。

 

セックスのせいで恋が上手くいかなくなったと思い込んだ私は、その後「たいしたことない」ものだと思い込むようにした。

その一方で「自分が女である」という証明のように思うこともあった。

 

そのいびつな価値観は自分を随分苦しめたと思う。

例えば付き合ってる時に、そればかりを求められても空しくなるのに、無ければ無いで不安になったり。

下心を隠そうともしない人に嫌悪感を感じるのと同時に、自分を責めてしまったり。

 

1度しかあったことない人にお互いノンアルコールでラーメン食べてるときに

「つきあう気はないけど、したい」と面とむかって言われたことがある。

はぁ!?馬鹿にしてる。こいつは私をなんだと思ってるんだ。

と怒りが湧いた。そしてそんな風に見られた自分がとてもみじめだった。

(ムカついてきた。お恨み帳書こう)

 

またある時は知人に真剣に悩み相談をしていた時に、ふと顔をあげると顔面がすぐ近くまで来ていたこともあった。意味がわからない。

 

その他にも一緒に歩いていて人影のないほうに連れ込まれようとされたこともある(思いっきり腕を払って逃れた)。

 

ムカつく。男は最低だ。汚い。

こんなにも男性を憎んでるのに、なんで私はパートナーシップを欲するのだろう。

 

以前カウンセリングを初めて受けたとき一番最後に「あなたはセクシャリティがとても強い。そのことに自覚はありますか?」と言われた。

その時は相談内容はその当時別れたばかりの彼の事と家族の事だったし、「はぁ?何言ってんのこの人。私は自慢じゃないが色気とは無縁だ。」って思ったけれど、今こうやって過去を振り返ると私の問題はほとんどがセクシャリティに関わるものばかりだった。

やっぱりセンセ、すごいわ。

 

これを書きながら生理痛に似た謎の下腹部痛がする。

そろそろ、この問題と向き合う時がきているのかもしれない。

 

 

ふりかえってのまとめ

ずいぶん年月がたって、今思い返すと、やっぱり私は彼が好きだったなぁと思う。

いっぱい嫌な思いをしたし、悲しかったし辛かったけど、彼の事が大好きだったなぁと思う。

 

あの頃の私(発覚前)は素直に駆け引きとか損得とかなく自分の気持ちを相手に伝えていた。

でも今思うと、彼というより親に甘えてるような感覚だったのかもしれないなぁ。

 

本当に知りたくなかった。

彼を好きなままで別れたかった。

発覚前の自分のままで別れたかった。

 

発覚後の大嫌いな私と仲直りができないまま、私はその自分を封印して、あれはあれでいい恋だったんだと思おうとしていた。

 

ふりかえりをずっと書いてみて、私はきっとあのショックで傷ついた自分を2度と感じないように、罪悪感やら色んなもので蓋をして。

感謝っていう体裁のいい言葉で「処理済」のラベルを貼ったのだと思った。

彼への感謝は嘘ではない。

でも、それと自分を許すことは別。

私はそこを無理やりごちゃまぜにしていたんだと思う。

自分の痛みと向き合って寄り添うことと、出会ったことや出来事に感謝することを混ぜてしまうととてもしんどくなる。

混ぜてしまうというよりも、無理やり感謝をして傷ついた心をOKってするのは応急処置のようなものだ。

 

まず傷ついた自分は自分として認めたうえで、十分に寄り添ってから、相手への感謝をすればいい。

感謝できなくても、それはそれでいい。

感謝できればそれはとてもステキだけど。

 

ふりかえりを読んでくれた友達が素敵な恋や素敵な愛だといってくれた。

それがとても嬉しかった。

確かに私は彼の事が大好きだったし、彼も私を愛してくれていたのだ。

 

あの時の私とどうやったら仲直りできるだろう。

友人たちがたくさんの優しい言葉をかけてくれた。

嬉しくて涙がでた。

たぶん、あの頃の私が泣いてるんだと思う。

 

私もみんながしてくれたように、あの頃の自分によりそって優しくしてあげられるかな。

ふりかえり14

彼とは、向こうが別れを嫌がるのを押し切って一度別れた。

でも私は自分に自信がなさ過ぎて、また彼と戻ることになった(相手の女の子とは関係を切っていた)

結局一緒には住まなかったけど、私は転職をして前よりは彼と休みが合うようにした。

彼は日曜の夜も職場まで迎えにきて、また夜中帰るようになった。

彼の中で出来る限り私を最優先してくれるようになった。

でも、彼への信頼がゼロになってしまった私は彼を異常に束縛し、試し行動のように別れを口にしては脅すようになってしまった。

あの時の私は今も思い出したくないくらい大嫌いだ。

戻ってからの私たちは完全に力関係が逆転していた。彼は相変わらずおだやかで優しく、私に逆ギレすることは一度もなかった。

どんなにひどい束縛をしても、そうさせてしまったのは自分だからと言って全て受け入れてくれていた。

だからこそ、私は彼を許せない私が許せなかった。

それならどうして、って気持ちが消えなかった。

仕事を変わったことで体調もずいぶん良くなって、不思議なことに性交痛もほぼ無くなっていた。

でも、私にとって性行為は彼をつなぎとめるものだった。

しなきゃ、またどこかに行ってしまう。

喜びからのものじゃなかった。

そしてそれは彼と別れてからも、私のなかで根付くようになってしまった。

 

付き合ってる最中にだいぶ生理が遅れたことがあった。生理周期もズレたりしてたし、まさかなぁと思ったけど、普段よりもあまりにもズレることに不安になった。

彼は子供を欲しがっていたから、もしかしたら?って事に1人で先走って私の親に挨拶に行く予定を段取りつけようとしていた。

結局妊娠はしていなかった。

 

私はホッとしていた。

だって、こんな状況で子供ができてそれをきっかけに結婚しても。この不安は消えないとわかっていたから。

でも、形が欲しくてそうなればいいのに、とも思っていた。

 

彼の事も自分の事も許せないまま、結局5年付き合ったあと自分から別れた。

結婚の話も出ていたけれど、彼をどうしても信じることができなかった。

私はもう誰かのことを前みたいに無防備に信じる事が出来ない。

そんな自分がとても嫌だった。

たぶん私はまだその時の自分と仲直りができていない。