ネバネバ

友人のブログを読んでうんうんと首がもげそうなぐらい頷いた。
tamurayoko.jp

 

 私にとってのネバナラナイの1つが以前にも書いたように「料理」だ。

女性たるもの料理くらいできなければ。

結婚したら料理をつくるのは女性。

料理ができない女性は女性として評価が下がる。

 

いつからかこのネバネバが謎の脅迫観念のようにこびりつくようになった。

男性ならば「料理」を「仕事」や「稼ぎ」に置き換えてもらうとこの感覚がすこし身近に感じられるかもしれない。

 

しかし、日常生活において

「年収はいくら??」

「出世の予定は?」

とは早々聞かれないだろう。まあ聞かれることも稀にあるかもしれないが。

 

だが私を含み多くの女性が

「料理はするの?」

「得意料理は何?」

「今日は何作ったの?」

と、まるでYES一択のような問いをされることがある。

なんだかとっても息苦しい。

 

昔付き合って早々に

「とりあえずだし巻き卵作ってみて」

と言われたことがある。 

彼曰く、だし巻きで大体の料理の腕が測れるらしい。

なんや、それ。なんの試験やねん。

 

そう思って腹の中が煮えたくりながらも作った。

なんでだろう。

嫌われたくなかった?

それとも負けたくなかった?

なんにせよ平静をよそおってだし巻きを作った。

 

彼の評価は「ふぅん。なるほどね。」だった。

合格なのか不合格なのかよくわからないけど。

私はそれ以降彼に二度とだし巻きを作らなかった。

このことを皮切りに彼の沢山の??な言動を目の当たりにしてなんだかこの男はヤバイと思って別れた。

でも元々料理に自信があるわけではない私は少なからず傷ついた。

 

私の父は母が何を作っても褒める人だった(注:両親は存命です)

それは私にも同様で「作ったこと」に対してまず感謝の言葉をかけてくれた。

私の中ではそれが普通だと思っていたし、幸運なことに付き合う男性も皆そういうタイプだった。

だから前述の彼のような態度が信じられなかった。

 

でも、どこかで一度くずれた価値観はそのあとも歪な影響を与える。

その後、付き合う人には何故か献身的に料理をするようになった。

頼まれたわけでもないのに、平日1週間分の作り置きをしたり。

どこかに出かけた後で疲れても家でご飯を作ったり。

もちろん喜びもあったけれど、動機は「恐れ」だった。

料理くらいつくらネバ。ネバネバネバネバ。

どんどん私の心は重くなり、それはきっと無意識のうちに食べる相手にも同じ重さを与えていたように思う。

 誤解してほしくないのは、「喜び」からのものであったならきっと重くはないってことだ。

 

その後料理は苦手だ、と公言するようになった。

無理しない、といえばそうだけど。

どこかで傷を隠してもいた。

ネバネバから距離を置いたようにみえて奴らは私のすぐ傍にいた。

 

 

 

最近在宅で仕事をするようになり、自炊する頻度が増えた。

自分の為だけの料理。

食べたいと思うものを作る、と決めた。

気持ちに腕は追い付いていないけども。

何が食べたいのか、自分の心に聞いて作る。

そうすると「料理自体が苦ではないのだ」ってことに気づいた。

 

苦だったのは「ネバナラナイ」ことをしている感覚だったのだ。

ネバをはずせば、「楽しさ」が少し顔を出すようになった。

 

これがいつまでつづくかはわからない。

でも続け「ネバ」を手放しつづけようと思う。

 

ちなみに、今日はカボチャの煮物を放置しすぎてやや焦がしてしまった。

でも食べられる。

それでいいのだ。